仕事歴 My Career


年 度

で き ご と

昭和60年度
1985.4-1986.3

 教職初年度。教員採用試験不合格のため、講師として北上北中学校で1・2年数学、2年女子体育、3年選択音楽を担当。3年生男子13名の選択音楽では、秋の文化祭に向けてスライド映画「時をかける中ズック」を製作・発表。この時の3年生は未だに同窓会や年祝いに呼んでくれる。

昭和61年度
1986.4-1987.3

 教職2年目。新採用教員として上野中学校で2年D組を担任(2A小原、2B陣場、2C内村)。1年の我慢を経て、晴れて学級担任として張り切ってスタートする。空回りすることが多かったが、学級委員長の内田君をはじめ生徒たちにはいろいろ教わった。学年主任の小原先生を目指して同期の先生と競い合うも、足元にも及ばず。学級幹事の気仙さんにはさんざんお世話になる。

昭和62年度
1987.4-1988.3

 教職3年目。昨年度からの持ち上がりで3年D組担任(3A小原、3B陣場、3C内村)。初の受験生の担任となる。けっこう元気な生徒がいたり、一部の女子と人間関係がうまくいかなかったりしながらも、何とかやり遂げた一年。この年担当したサッカー部は地区優勝し、県大会に出場する。

昭和63年度
1988.4-1989.3

 教職4年目。1年A組担任として、元気いっぱいで天真爛漫な新入生に感動(1B内村、1C加藤、1D陣場)。生徒たちの真っ白な英語のキャンバスを、「自分の色に染める」ことができる中学校英語教師の楽しさをしみじみ実感。

平成元年度
1989.4-1990.3

 教職5年目。2年C組担任(2A菊池博、2B陣場、2D加藤)。2回目の2年生担任として、少し余裕が出た一年。クラス替えを期に、がらりと変わる生徒たちを目の当たりにする。

平成2年度
1990.4-1991.3

 教職6年目。持ち上がりで3年C組担任(3A菊池博、3B陣場、3D加藤)。パワフル学級委員長の阿部さんを軸に、運動会で祭りの御輿をやったり、文化祭の教室展示で暴走族の車の模型展示(ドキドキ...)をやったり、学級担任としては最も楽しい時期の一つを過ごす。

平成3年度
1991.4-1992.3

 教職7年目。結婚を機に、以前講師をした北上北中学校へ転任し、2年B組担任(2A今野、2C佐藤)。農村部の非常に素朴な生徒たちに「中学生って、こういう人たちだったっけ?」と驚く。1992年春、北上市内の中学生16人の海外研修に、引率スタッフの一人としてアメリカへ同行する。

平成4年度
1992.4-1993.3

 教職8年目。持ち上がりで3年B組担任(3A今野、3C佐藤)。やる気にあふれる(でもどこか行動が幼い)学級委員長の千田君を中心に、充実した一年を過ごす。

平成5年度
1993.4-1994.3

 教職9年目。生徒数の関係で学年2学級となった1年B組担任(1A今野)。年度の終わり頃、同僚の佐藤先生のアップル社製一体型コンピュータColor Classicを見ているうちにパソコンがほしくなり、初めてLC575を購入。

平成6年度
1994.4-1995.3

 教職10年目。1年間かわいがった生徒たちを置いて学校を出るのはとても心残りであったが、総合教育センターで1年間の長期研修講座を受講し、「中学校英語科における書く力を育てるための指導の在り方に関する研究 〜新出文型を取り入れた言語活動を通して〜」をテーマに教育研究を行う。研究主題決めや仮説の執筆に10回以上のやり直しがかかり、初めて教育研究の難しさを実感。

平成7年度
1995.4-1996.3

 教職11年目。学校に復帰し、2年前に担任した生徒たちではなく、新たに1年B組担任(1A遠藤)。学級委員長は、はきはきして友人に信頼の厚い菊池君。

平成8年度
1996.4-1997.3

 教職12年目。2年A組担任(2B遠藤)。すばらしいコーチの指導の甲斐もあって、サッカー部が県大会出場。文化祭にて、選択授業で作詞作曲をした生徒2名が自作曲をステージ発表。秋から1年間、初めての生徒会執行部担当。

平成9年度
1997.4-1998.3

 教職13年目。持ち上がりで3年A組担任(3B佐藤)。学級委員長で頑張り屋さんの平野さんを中心に、ほんのり暖かい雰囲気の学級で1年を過ごす。文化祭にて、選択授業で作詞作曲をした生徒5組9名が自作曲をステージ発表。

平成10年度
1998.4-1999.3

 教職14年目。7年ぶりに古巣の上野中学校へ転任し(出戻り)、3年B組担任(3A田畑、3C山根、3D高橋由)。昨年度担任の小原先生によるしっかりした学級経営のおかげで、まじめで、厳しい指導の下でよく育った学級というものを堪能。文化祭での合唱も、昨年2年生ながら最優秀賞になったとのことで、自信とプライドに溢れた練習で2年連続の最優秀賞を受賞。受験生の担任でありながらも、11月24日〜12月11日まで宮城県利府町にて、「平成10年度第1ブロック文部省英語指導者研修講座」というほぼ英語だけの研修を3週間受ける。

平成11年度
1999.4-2000.3

 教職15年目。初めて担任を外れて研究主任をすることになり、1年副担任(担任は1A高橋由、1B石川、1C高橋信、1D吉田朗)。総合教育センターのホームページ作成研修講座に参加して得た知識をもとに、8月に自分のホームページを公開。生徒会誌作成を引き継ぎ、平成15年度まで5年間、3学期は編集作業に追われる。

平成12年度
2000.4-2001.3

 教職16年目。研究主任を継続し、3年副担任(担任は3A菊池、3B猿舘、3C及川、3D地主)。10月12日〜27日まで、文部省教員海外派遣研修(岩手県第31団)でフロリダ州の学校・教育委員会などの訪問に参加する。1月の北上市教育研究発表会にて、本校の『総合的な学習の取り組み 〜ゼロから発表会まで〜』を発表。

平成13年度
2001.4-2002.3

 教職17年目。研究主任を継続し、3年副担任(担任は3A高橋浩、3B高橋信、3C松浦、3D高橋由)。1月の北上市教育研究発表会にて、Small Talkを使って書く力をつける実践を発表。

平成14年度
2002.4-2003.3

 教職18年目。研究主任を継続し、2年副担任(2A及川、2B佐々木、2C吉田信、2D平澤)。7月、上野中学校のホームページを開設。10月、「教科指導における、基礎的・基本的内容の定着を図る指導 〜学びの場を工夫した指導を通して〜」をテーマに北上市教委指定公開研究会。1月の北上市教育研究発表会にて、上野中ホームページ 〜開かれた学校をめざして〜 を発表。

平成15年度
2003.4-2004.3

 教職19年目。研究主任を続けながら、久しぶりの3年生(A組)担任ができるという幸運に恵まれる(3B佐々木、3C吉田信、3D平澤)。少し大人しすぎる生徒たちにハイテンションで迫り、生徒は最初一斉に引いた。優秀で思いやりがある学級委員長の鈴木さんを軸に、運動会では最も力を入れたパフォーマンス賞(とマスコット賞)を目論み通りゲット。学級開きで宣言したとおり1学期の終わりには合唱の自由曲を決定し、2学期早々練習を始め、学校で一番の練習量を誇るも、本番の文化祭では優秀賞(2位)に終わり、生徒たちと泣く。

平成16年度
2004.4-2005.3

 教職20年目。県北の山形村立山形中学校へ転任。あまりにも純粋で素直すぎる生徒たちに、「なぜ3年生がこんなに熱心に掃除をするのか?」「どうして自習時間なのにこんなに合唱をしたがるのか?」など、毎日心から感動しっぱなし。初の教務主任(担任なし)を担当し、毎週の時間割作成に忙殺される。8月、山形中学校のホームページ開設。

平成17年度
2005.4-2006.3

 教職21年目。教務主任2年目(担任なし)ということで校務分掌的には少し慣れてはきたものの、「英語大好きジュニアハイスクール」の県指定を突然受けることになる(指定校は県内12校)。「英語が大好きな生徒を育てる」ことを念頭に、何をやろうかといろいろ悩んだ末、授業に洋楽を取り入れることを決意。聞き取りや文法に使用することはもちろん、歌うことが大好きな生徒たちだったので、英語の歌にも一生懸命取り組む。村民対象に「星を見る会」を平庭高原で実施。役場に依頼され、学習院中学校の生徒400名にも平庭高原で星を見せる(ほとんど曇りだったが...)。

平成18年度
2006.4-2007.3

 教職22年目。学校を離れ、初めての専門職として第一歩から出直す。事務仕事、各種研修の計画・実施、学校訪問など慣れない仕事のため周囲に迷惑をかけっぱなし。平成6年度の長期研修以来、自分にとっては「教師のままなのに生徒に囲まれない不思議な」毎日となる。

平成19年度
2007.4-2008.3
 教職23年目。専門職としての2年目に突入。ただし、職場が変わって自宅から通えるようになり、優しい上司や同僚に囲まれて仕事ができ、精神的にはかなり安定した。しかし、仕事量そのものは昨年度より激増し、毎日がフル回転状態だった。
平成20年度
2008.4-2009.3
 教職24年目。岩泉町立釜津田中学校へ異動。天使のような清らかな心を持つ全校10名の生徒に感動。単身赴任は2回目なので、その点は余裕のスタートだったが、初の管理職+事務担当+3個学年の英語の授業担当。特に事務の仕事は全パワーの半分以上を使い、これまでの職場でお世話になってきた事務職の方々のありがたさを、今更ながら実感。
平成21年度
2009.4-2010.3
 教職25年目。岩泉町立釜津田中学校、生徒数は3人減って7人。さすがに2年目なので少し余裕が出てくるかと思いきや、昨年度は小学校にやっていただいていた小中PTAの仕事が回ってきたので、やっぱり大苦戦。事務の仕事より大変。10月、釜津田中学校のホームページを大幅リニューアル。地区民を対象に「星を見る会」を4回計画し、2回は晴れて実施。
平成22年度
2010.4-2011.3
 教職26年目。岩泉町立釜津田中学校、昨年度2人卒業し、今年2人入学したので生徒数は7人のまま。3年目は職員のメンバーが大幅に入れ替わったことから、行事等の実施や弁当の手配など多くの点で、昨年は元のメンバーにいかに頼っていたかを実感。
平成23年度
2011.4-2012.3
 教職27年目。3月11日に発生した東日本大震災により、全く予想しなかった花巻市立宮野目中学校へ異動。職員室にいる21名のスタッフや182人もの生徒の多さに圧倒される。プロの事務職さんの存在の大きさを改めて実感。副校長という仕事の本当の忙しさを、しみじみと感じる時間もなく1年が過ぎる。
平成24年度
2012.4-2013.3
 教職28年目。花巻市立宮野目中学校。1年目に各種書類作成を自分用に作り替えたことと(名簿等にはファイルメーカーを使用)、出張や締切等のスケジュール管理を強化したため、基本的な仕事はずっと軽く感じるようになった。しかし、昨年同様の総務とPTA関係事務に加え、秋には公開研究会があるにもかかわらず、市副校長会の事務局(1年おきに行われる管外研修の担当というおまけ付き)と市・県・東北教頭大会の発表者を引き受けてしまったため、1年中休みなく仕事をする羽目になる。
平成25年度
2013.4-2014.3
 教職29年目。異動して北上市立和賀東中学校。新しい環境で一からの出直し、しかも前の職場よりもさらに仕事が多い。しかし、うれしい誤算は1年生と3年生それぞれ1クラスの英語の授業を担当できるようになったこと(しかも正担当)。9年ぶりの北上市は生徒や先生たちの気風、仕事の段取り等、なんか懐かしいにおいがする。
平成26年度
2014.4-2015.3
 教職30年目。北上市立和賀東中学校、仕事はさらに増えたような実感。先を読んで行動することや、保護者・職員への接し方等、今までののんびりモードでは立ち行かない厳しさに遭遇。授業は3年生2クラスの英語を担当。
平成27年度
2015.4-2016.3
 教職31年目。前の職場の隣にある北上市立和賀西中学校に異動。清潔で暖かみのある校舎と非常に息の合うS校長と、今までで最高の事務さんに感動。ただし、授業は特学の英語のみ。校報発行と、行事記録写真の廊下掲示は結構な大仕事だが、前の職場よりも絶対的な仕事が少ない。9月、和賀西中学校ホームページを開設。翌年度の市P連・県P大会事務局の担当をすることになり、多くの市P連関係の会議に出席。
平成28年度
2016.4-2017.3
 教職32年目。北上市立和賀西中学校。11月6日開催予定だった第42回岩手県PTA研究大会和賀大会の事務局長として、5月10日の準備委員会引継ぎから多忙を極める。PTA会長の狩野さんとタッグを組みながら、来賓やアトラクション出演者など合計1,200人以上の参加者・スタッフを集め、成功裏に終えることができた。
平成29年度
2017.4-2018.3
 教職33年目。北上市立和賀西中学校。5月2日の総会をもって北上市PTA連合会事務局の仕事が終わる。それでも、市P連・地区P連・次期県P大会事務局への引継を全て終えたのは6月に入ってからだった。翌年、創立50周年記念行事をやることとなったため、敢えて留任希望を出し、何とかもう1年おいてもらえることになる。
平成30年度
2018.4-2019.3
 教職34年目。北上市立和賀西中学校4年目。11月10日に創立50周年記念事業があり、実行委員長の狩野さんとまた力を合わせながら1年ぶりに慌ただしい日々を送る。上司が替わり、副校長としてのこれまでの温室育ちを痛感させられ、プレッシャーの毎日ながら大変勉強になる(???)1年を過ごす。しかし、生徒が落ち着いていて、保護者・職員がしっかりしている学校に勤める幸せを実感。
令和元年度
2019.4-2020.3
 教職35年目。多分最後の勤務地となる北上市立飯豊中学校に異動。自宅からわずか2kmという近さは、釜津田中の次に近い。職員の平均年齢がずっと若返り、活気のある職員室、和賀西中の3倍の人数であるが温厚で誠実、しかも陽気でハキハキしている生徒に感動。飯豊中学校ホームページを、メール配信と組み合わせながら積極的に運用。職員が多いため授業はほとんどないが、大きな学校だけあってやることはたくさんあり、いろんな生徒・保護者・職員がいて多忙を極める。
令和2年度
2020.4-2021.3
 定年前最後の教職36年目。北上市立飯豊中学校2年目。昨年度末あたりから新型コロナウィルスの感染が世界中で拡大し、卒業式、入学式、修学旅行、体育祭、中総体など多くの行事が大きな影響を受ける。しかし、その影響で式典行事やら、PTA関係行事やら、副校長会事業やら、今年度予定されていた学校公開やらが中止・縮小開催となり、職務としては昨年よりも少な目な1年となる。過去に県P大会の準備を引き継いだ誠実な校長のもと、充実した日々を過ごす。
令和3年度
2021.4-2022.3
 3月に定年退職し、4月から北上市立南中学校と北上市立東陵中学校で、再任用教諭(教職37年目)として初任者指導(拠点校指導員)のために勤務。2校で3名の初任者のお世話をさせていただくが、授業など生徒と関わり合う場面がほとんどなかった。しかし、他教科の状況や悩みを知ることができ、貴重な勉強をする。夏、新たにドローンを入手し、退勤後にあちこちを回って空撮を楽しむ。
令和4年度
2022.4-2023.3
 再任用2年目(教職38年目)。北上市立江釣子中学校に異動。かねてよりの希望どおり、7年ぶりに英語授業...1年生普通学級4クラス16時間(+特支3時間)を担当させていただき、水を得た魚のごとく元気になる。
令和5年度
2023.4-2024.3
 再任用3年目(教職39年目)。北上市立江釣子中学校2年目。昨年度の生徒たちを引き続き担当させていただく。ただ、中学校入学時から「英語は不得意」という生徒がおり、小学校で学んだはずの単語460語が重くのしかかり、教科書の学習内容が急増している現状に愕然とする。

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