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2023年1月


29日(日) 娘の誕生日祝い

 本当の誕生日より早かったのですが、夜、家族でお祝いをしました。私からは、アルテマルカンで購入した「ちいかわ」のクッションとタオル。みんなでケーキをろうそくをつけ、ハッピーバースディの歌を歌い、切り分けて食べ、記念写真を撮りました。こういうことができるのも子どもたちが独身のうちだな、と思っています。


28日(土) TelloのWiFiエクステンダー

 10cm程度の実家の雪かきを終えた夕方、Telloを譲っていただいた方の情報を得ながら、WiFiエクステンダーのセッティングをしました...実は、マニュアルがあったのに気づかなかったのです...その結果、見事に接続できて飛行実験も成功しました。買い足したバッテリー2個と共に記念撮影。


25日(水) 47年ぶりの大寒波

 テレビで盛んに「10年に一度の最強寒波がやってくる」と報道していましたが、果たして昨夜は風呂のエコキュートの一部が凍結したらしく、何年か前のお正月と同様に追い炊きができなくなってしまいました。

 今朝も朝から低温で、家を出るときは−7℃。通勤道路はすっかり凍結し、油断すると車は横滑りしようとしていました。

 昼もグランドはしばしばホワイトアウトしていましたが、奈良県を始めあちこちで高速道路で立ち往生したり、電車が止まったりしたようです。北上の今日の「最高」気温は−6.2℃(盛岡は−5.7℃)、これは1967年1月4日と並ぶ観測史上歴代4位の記録だったとか。帰り道の気温は−7.7℃で、村崎野駅近くの交差点では車が脱輪していました。


20日(金) 無料英検の善し悪し

 おとといの英検の受験票記入の失敗が第3回検定当日の今日まで尾を引き、あちこちに迷惑をかけてしまいました。にもかかわらず、主担当で細かいところまで配慮が行き届くT島先生は根気強くフォローしてくれました。今日は14時までの勤務だったので途中で出てきてしまいましたが、うまくいったことと思います。

 それにしても、現役で、大きな学校での市の補助付きの英語検定がこれほど大変なものとは思いませんでした。受験者人数の学年・級ごとの確認と英検教会への申込、市教委への報告と予算申請、全受験者の名簿作成と受験番号割り振り、無料で受けられる1・2年生徒への説明文作成と印刷、届いた試験教材の仕分け、授業における解答用紙の記入指導、試験監督をしてくれる先生方への手順説明作成と印刷、実施後の記入ミスチェックと梱包そして発送...ここまでを今日までやってきたはずです。このあと、市への予算申請、郵送されてくる一次試験結果の生徒への配布、二次試験の面接練習の計画と実施及び生徒への連絡、生徒一人一人の合否結果まとめと市への報告(これでやっと市から受検料が支出される)。

 まだまだ落ちているとは思いますが、これを一人の英語科教諭で全てやるのは大変すぎる。せめて、私がやっていたように市とのやり取りは副校長なりができないものかなぁ。特別な理由がない限りは全員受験という縛り、他教科の先生方による試験監督、大量の受験生の扱いなど、実施そのものに無理があると感じます。

 「やらせる立場」にいたときは、こんなことに全然気づかず、「生徒全員に英検の受験機会を与えるすばらしい取組だ」と信じて疑わなかったのになぁ。


18日(水) 半パニックの一日 〜 ドローン同時に2台受領

 担任の一人が年次で朝の会にピンチヒッターに入るところから始まり、今日は午前中の授業が4分の4(しかも2時間目は何が起こるか分からない特学)、通常の単語テストに加え、金曜日の英語検定の解答用紙記入、昨日のCan-Doテストの返却までを1時間目にやったもんだから軽いパニック状態になりました...しかも私が、1時間目のクラスに配布・記入させた解答用紙の受験番号に無頓着だったことからまちがった用紙に記入させてしまいました。3・4時間目はCan-Doテストの返却はやめました。

 おまけに今日は給食がなかったので昼食の注文をする必要があったのに、注文用紙周辺が混んでいて注文できず、昼食抜きで15:30まで仕事。まちがった受験番号を振り直す作業、隣の学校からの英検CD関係の依頼、学年会計の仕事も加わり、午後から年次を取る予定が半分パニック状態でした。

 やっと仕事が終わり、2つのコンビニに行ってドローンを受け取りました...1軒目は点検に出していたMini2、2軒目は2度目に入手した重さ80gのTello(コントローラー、充電器、WiFiエクステンダー、収納ケース付き)です。


14日(土) 暖かい一日

 ここ数日間は1月とは思えない暖かさで、昨日から今日はずっと雨が降り続いていて雪がかなり消えてきました。Mini2も点検に出している最中だし、当然天気も悪いので、午後からプラージュに行って散髪してきました。久慈にも行ってきたし、3ヶ月も洗車していないので車はかなり汚れていますが、今日の雨でいくらか目立たなくなったかな。

 外出以外は(空撮がきっかけで見始めてしまった)「あまちゃん」を見続けています...見るたびに新しい発見があっておもしろい。


10日(火) 3学期始まる

 2学期終業式を終えてから、昨日の成人の日まで17日間も休ませていただき、体もすっかり鈍ったところで今日の始業式...一人の担任の家で不幸があったため、初日朝から担任生活が始まりました。1・3・4校時と普通に授業が始まり、単語テストもリスタートです。生徒たちもみんな元気でした。

 今年の冬休みはたくさんの不要物を売り払いました。12月26日にはASI585MC、28日にはリコールで新品が届いたネックマッサージャー、31日にEOS APS-C用のCLS-CCDフィルター、元旦1日にEOS60D天体改造ボディ、8日にASI533MC Proが落札されました。結局、CMOSカメラは3台入手しましたが、手元に残したのはASI183MC Pro1台のみ...早く暖かくなって2,000万画素機で早く写真を撮りたいものです。


8日(日) 小袖海岸へ

 6日にFlyers社から小袖海岸での空撮許可手続きが終了し、飛行確認証明書が届いていました(実は、5日の分も4日に届いていた)。3連休(といっても私はずっと冬休み中ですが)に空撮に行くべく、NHKの朝ドラ「あまちゃん」のオープニング含めてずっとドラマに見入っていましたが、本日は天気もまあまあ、風も弱くなったので、思い切ってスタート。

 ずっと一般道路を通って、まずは滝沢市で車を停め、農場できれいに見えていた岩手山を空撮。余計な景色が入らないので、まるで天峰山から見ているようでした。

 沼宮内から281号線に入り、大坊峠(ほとんど雪なし)〜早坂高原(さすがに雪あり)を通過して、懐かしの山形中学校へ。雪はあるにはありましたが内陸ほどではなく、校舎上空から川井地区上空〜久慈高校山形分校跡を飛ばしてみました。

 昼食を取る間も惜しんで久慈市の小袖海岸到着し、ちょっと曇りがちではありましたが風はほとんどないので、さっそくMini2を離陸。「あまちゃん」ではオープニングなどで特徴的に描かれる堤防〜灯台の上を飛ばしてみました。

 先端の灯台付近は、安全のためか大きく変更され、先端までケーソンが沈められていました(これじゃ飛び込めない)。

 娘時代の春子が書いた落書きは、2015年6月16日に撮影した写真ではすでに消されており、今日の空撮動画では展望台のある先端そのものが大幅に改修されていました。

 これは第1話の1シーンが撮影された場所。アキが初めて素潜りをしている祖母を発見する場面です。

 小袖海女センターも、2013年10月28日現在は番組と同じプレハブでしたが、2015年には津波にも耐えられそうな立派な建物になっていました。

 遅くなったら久慈市内に泊まろうと考えていましたが、午後2時半には出発できたので、そのまま峠を2つ越えて帰りました。


5日(木) コロナ感染者数、やばい

 新年を迎えても新規感染者数は減らず、今日はついに226,904人という最多を記録してしまいました。岩手では昨年12月20日の最多2,699人よりは少ないですが、一日で2,000人台の新規感染者がいて、死者は5人でした。中部保健所管内は208人、一昨日の年祝いでの感染者が出ていないことを祈るばかりです。ちなみに、私は36.6℃でまったく正常。

 ちなみに、中国ではずっと続けてきた厳しいゼロコロナ政策を急にやめたものだから、感染者が爆発的に増加し、一部報道では首都の8割が感染したのではないかとのこと。12月24日は「中国全土で2,940人、浙江省では22人」と中国政府が発表しているそうですが、浙江省政府は100万人を越えていると発表したとか。これなのに、コロナの水際対策を厳しくしている各国を非難している中国政府、DJI社やZWO社が泣きますよ。


3日(火) 北上北中学校第40回生年祝い

 北北中には2度勤務しましたが、2回目の3〜5年目に担当した学年の42の年祝いがありました。全国でコロナが蔓延している中、あえて開催してくれた勇気に感謝です。なんでも、前日に予定されていた1個上の学年は取りやめにしたとか。

 女子が企画・運営を行ってくれましたが、会場予約といろんな打ち合わせ、参加者への案内ととりまとめ、横断幕の準備、出し物をする団体との打ち合わせ、来賓(遠藤・佐藤先生と私)へのあいさつ依頼、写真屋さんとの打ち合わせ、景品購入とクジの作成、受付、進行、二次会の計画と打ち合わせなど、たくさんのお仕事があったと思いますが、見事にこなしていました。私の学級の委員長だったK子さんは、11月21日に出産したばかり...赤ちゃんの世話をしながらの準備だったに違いない。

 本番は、有名な二子鬼剣舞の舞、しかも見たことのないバージョンがたくさんありました。お祝い用の特別な踊りだったと思われます。3人の来賓あいさつから始まり、鬼剣舞やクジなど出し物がたくさんあったため、数名の元生徒とお話ができただけでした。

 コロナの蔓延を警戒し、私は1時間半の1次会で失礼しました。また、今週末まで実家での一人暮らしが始まります。


1日(日) 令和5年が始まりました

 年が明ける15分前に自分の部屋に上がり、FB版の年賀状を午前0時ぴったりにアップしてから就寝しました。若い頃のように「○○年が始まった!」という感動があまりないのが不思議。

 朝はゆっくり目に起きて、家族と「明けましておめでとう」のご挨拶。昨日から家族の仲間入りした文鳥は、夜間の寒さに耐えて元気でした。

 午後から家内のお父さんを迎えに行き、水沢の駒形神社へ初詣。コロナがまだまだ猛威を振るっているので、今年は家内の弟家族は来ませんでした。昨年と異なり、今年の元旦は雪がほとんどなく、快適な新年となりました。おみくじも大吉でした。

 夜は江刺で買い物をして家内の実家に移動し、家内のお父さんと食事をしました。


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