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2012年8月


31日(金) 英語暗唱大会の指導 〜 この暑さ、一体いつまで?

 主担当者が多忙ですっかり遅れてスタートした英語暗唱大会の練習、いよいよ大詰めを迎えました。初めて自分の教え子を参加させてから10年目、私が担当した生徒には勘所をしっかり教えたつもりですが、なんといっても準備期間の短さがあだとなっています。あとは、出場生徒3名の実力次第!(あー無責任発言...すまん)。

 今日も昼近くからまたまた暑い一日。最高気温が34〜35度ぐらいの日がずっと続いています。1週間前に各教室に2台ずつ扇風機を買いそろえたとき、「もう来週から涼しくなるかも?」という心配は杞憂に終わりました(泣)。平均気温がこんなに高いのは、記録的であるとのことです。雨も降らないので、貯水量が心配なダムもみられ始めています。


28日(火) プロ中のプロの英語授業

 午後から、湯本中学校で開かれた英語学力向上研修に顔を出しました。目的は、あの有名な北原先生の授業を見るため。当初は夜に予定されている懇親会にだけ参加予定でしたが、急に授業が見たくなったのでした。事前に生徒の名前などの情報は伝わっていたようですが、それでも初めて会った生徒18人を前にしての何とも緻密で自然な授業、さすがは全国を駆け回っているプロの方だと思いました。

 英語の授業に洋楽を取り入れていた際にものすごくお世話になった本、北原先生は著者のお一人でもいらっしゃるため、懇親会では思いっきりその話題で盛り上がりました。


25日(土) 市中学校陸上競技大会

 昨日までとは打って変わって涼しい朝で始まった当日でした。私も中学の時に選手として出場していた大会(当時は郡陸と言っていた)、今回は気合いを入れて指導した生徒も何人かいました。短距離はフォーム改善に取り組みましたが、どうしても後半のスタミナ不足がたたっていたような気がします。幅跳びもいろいろ技術を教えましたが、うれしいことに3年女子が優勝しました...すばらしい運動神経を持ち、「こうすればいいんじゃない?」というアドバイスに素直に従ってどんどん伸びていった生徒です。

 応援団も昼過ぎに顔を出した真夏の太陽にもめげず、一日中応援していました。私も昨年同様カメラを持ってかけずり回っていたため、生徒が驚くほどの日焼けをしてしまいました。本校の先生方は、例年通りお揃いのオレンジのポロシャツを着ての応援です。


22日(水) 市陸上の壮行会

 土曜日に行われる陸上大会の壮行式が、暑い日差しの中、グランドで行われました。今年の夏休みもやっぱり種々の出張などが重なって、先生方もしっかり指導できたとは言い切れませんが、私も昔取った杵柄で短距離と走り幅跳びの選手たちにいろいろアドバイスしてきました。


20日(月) 2学期始まる 〜 日本と中国・韓国の関係

 暑いままの毎日、ついに2学期が始まりました。

 8月10日には韓国の大統領が竹島(韓国名・独島)に、15日には香港の活動家が魚釣島に、それぞれ強制的に上陸することにより、急激に日本との緊張感が高まっています。


18日(土) 被災地めぐり・その7?

 急に思い立って、懐かしの旧山形村(現久慈市山形町)を経由し、久慈市に向かいました。家族と行ったことのある水族館「もぐらんぴあ」が被災後どうなっているかを見るためです。しかし、周辺一帯はまだまだ復旧工事中で、近寄ることさえできませんでした。

 そこから、「北限の海女」がいるとされる小袖海岸へ。久慈市周辺はやませと呼ばれるひんやりした濃霧に太陽が隠され、気温は驚きの22度!

 海沿いのくねくねした道路を走って小袖海岸に到着。ウミネコがアスファルトの上でゆっくり羽を休めていました。小袖海女センターに到着し、周辺を歩き回ってみました。休んでいる海女さんに話を聞くと、やっぱりこの海女センターも津波にやられ、プレハブの建物になっているとのことでした。

 国道45号線に出て南下。子どもたちが小さいときに海水浴に行った十府ヶ浦へ。やっぱりここにも津波は来ていました。海岸の反対側には、瓦礫がうずたかく積み上げられていました。海水浴客が一人もいなかったのは、寒いせいか、それとも何のお店もなかったせいか?

 帰り道は、岩泉町経由で。途中、岩洞湖周辺では午後の太陽に生える入道雲、盛岡市内に入ってからはきれいな夕焼けに映える雲をカメラに収めることができました。


16日(木) 2日連続の日直 〜 墓参り

 昨日、今日と2日連続の日直でした(先生方を休ませなくちゃ!とかって格好つけちゃった)。幸い、最近にしては涼しくて仕事が進みました。仕事が終わってから、15日は私の実家に行って墓参りと南部屋敷で夕食、16日は家内の実家に行って墓参りと家内のお父さんと食事をしました。


13日(月)〜14日(火) ロンドンオリンピックが終わる 〜 家族旅行

 13日の早朝(現地時間で12日夜)、ロンドンオリンピックが閉会しました。合計で38個(金7・銀14・銅17)のメダルを獲得したとのことですが、個数は過去最高だったとか。

 個人的には、今までのオリンピックの中で一番じっくり観戦したように感じました。特にも、銀メダルの女子卓球、銅メダルの女子バレー、銀メダルの女子サッカー、体操で金を含む3個のメダルを得た内村航平、女子重量挙げで銀メダルの三宅宏美、バドミントン女子で銀メダルの藤井・垣岩組など、見ていて思わず涙ぐんでしまう場面も少なからず。4年後のリオデジャネイロは日本の裏側にあるので、またもビデオの活躍となるのでしょう。

 さて、13〜14日は夏季休暇を使って(結局、この2日間しか使えなかった...)家族旅行。例によってプランニング〜チケット購入まで家内におまかせ...今年は横浜の八景島シーパラダイスに出かけました。八景島というのは本当に島で、島全体が水族館や遊園地になっていました。

 最近ずっと続いている猛暑の中、イルカのトンネルだの、海の動物たちのショーだの、ペンギンのお散歩だのを、暗くなるまで楽しみました。

 夜は、音楽と見事にコラボレーションした花火。時間は短かったけれど、惜しみなく大量の花火が上がってすごく楽しめました。

(Quicktime movie 31.7MB/60秒)

 関内駅近くのホテルに宿泊し、翌日は小雨の中、循環バス(「あかいくつ」と呼ばれています)に乗って、たったの100円で横浜市内の名所を1時間以上かけて回りました(ありえねー!)

 その後、桂歌丸さんが始めたと言われる横浜にぎわい座で、偶然始まる5分前に到着した落語に1人3,000円で飛び込むこととなりました。しかも、風間杜夫さんが落語もできる人とは思わなかった! あっという間の2時間でした。


12日(日) お寺で法会

 朝10時から始まるご祈祷に合わせて、石鳥谷の大興寺へ。私の実家周辺では、8月15日周辺のお盆とは別にお寺でご祈祷を受け、お墓参りをします(これを「ほげ」と呼ぶ)。10時に5分前ぐらいに着いたのですが、9時の人たちが帰り終わるあたりでした。父が亡くなってまだ1年なので礼服で行ったら、300人ぐらいはいた皆さん、平服でしたね (^o^;)

 今日は、久しぶりに職場に全く行かない日でした。


8日(水) 陸上練習

 25日(土)に予定されている市陸上大会に向け、朝8時から選手候補の生徒による練習が続けられています。今日は教育課程説明会で先生方が7名も出張だったので、私を含めて残った先生たち3名で指導をしました。いつもは短距離走を見ていますが、今日は走り高跳びにも顔を出してみました。新しい飛び方を覚えた1年生、みるみるうちに自己記録を更新していました。


6日(月) 東北中総体水泳大会3日目

 本校生徒が出場した2種目目、残念ながらこちらも予選通過はできませんでしたが、本人は意外にさばさばした感じでした。東北大会でおもしろいと思った点、どの県の生徒も学校にかかわらず大声で応援していること。岩手の選手たちが泳いでいる最中も、一番大声で叫んでいたのは大宮中の水泳部員、それに合わせるようにあちこちから声援が飛び交っていました。

 今日も終わってから一応学校に戻ってみると、電話を始めやっぱりちゃんといつもの仕事が待っていました。またも最終退庁なり。


5日(日) 被災地めぐり・その5

 水泳の東北大会2日目に行われる決勝がなくなり、今日は通常の週休日になったので、6月の続きの被災地めぐりに出かけました。

 まずは、前回悪天候のために退散した気仙沼へ。気仙沼線の鹿折唐桑駅前まで津波に流された巨大な船は、まだ撤去されることなく同じ場所にありました。近くにある線路も津波をかぶったため、電車が止まっているらしく線路はさびていました。

 何かの研修グループの人たちが、現地の方のお話を聞いていたので、ちょっと混じってみました。すると、まだ住居を新築するための建築許可が下りる段階になく、被災地の人たちは仮設住宅に当分住み続けるしかないとのこと。やっぱりまだまだ東日本大震災は続いているのでした。

 気仙沼を出て国道45号線を南に向かう途中、破壊された大量の小型漁船が積み重ねられている場所(気仙沼市松崎馬場付近)を見つけました。

 もう少し南下し、何人かの人が高台を歩いているのが見えたので立ち寄ってみると、そこは本吉町というところにあった陸前小泉駅跡でした。すぐそばに海があり、大津波が堤防を乗り越え、線路も駅舎もすっかり流し去ってしまったようです。鉄橋のコンクリートでできた土台だけが残っていました。

 さらに南下すると、南三陸町歌津というところで国道45号線が通行止めになり、迂回路へ。ここでは、国道45号線の橋が流されていたのでした。橋脚の残骸にはたくさんのウミネコが体を休めていました。

 清水浜駅付近。大津波は高架橋を押し流し、トンネルにまで流れ込んで線路をぐにゃぐにゃにしていました。

 南三陸町志津川に入り、大津波が来ているにもかかわらず防災無線で避難を呼びかけ続けて亡くなった遠藤未希さん等の悲劇の場所となった防災対策庁舎へ。人々が次々と訪れ、手を合わせていました。私も静かに合掌してから周囲を歩き回りましたが、辺りは建物がほとんど流され、がれきがきれいに取り除かれて平地になっていました。

 最後に、北上川の河口近くにあり、児童の約7割と教員のほとんどが亡くなった石巻市立大川小学校に立ち寄ってみました。まずは校門前にあった慰霊の祭壇(?)で合掌。その後、校舎周辺(中は立ち入り禁止)を歩いてみました。報道によると、この学校自体も避難場所に指定されていたとのこと。しかし、北上川がそばにあり、堤防から水があふれることを想定して避難する場所として、近くの高い場所にある大きな橋を選んだのは仕方がない選択だったように思えました。なんといっても、裏山が急すぎる。せめて、岩泉町長が小本小学校からの避難用に作らせた階段でもあればよかったかもしれません。子どもたち74名、先生たち10名のご冥福を、心からお祈りします。

 帰り道、暑い一日を振り返るような入道雲を見かけました。


4日(土) 東北中総体水泳大会1日目

 先月の県大会で勝ち抜いた本校生徒の監督+引率ということで、朝から盛岡へ。ゆっくり構えていたら、「選手証がないとは入れない」という本人からの連絡が来てしまい、「選手証なんて聞いてないぞー」と思いながらも慌てて会場に向かいました。

 県大会のときと違ってオフィシャルとしての仕事もなく、「これじゃただの一般的応援だな」と思いながらも、一応写真だけはしっかり残しました。

 本校生徒は一生懸命頑張りましたが、1種目目は予選通過できませんでした。


2日(木) 研修会 in 東和町 〜 サボテンの花

 午後から、東和小学校で研修会がありました。11月の市大会と県大会及び12月の東北大会での発表に向けての準備です。驚いたのは、会議室だの音楽室だのに冷房が入っていたこと。日本中でここ10日間ほどの暑い暑い日々、やっぱり冷房の効いた部屋だと仕事がはかどります。効率的な職務遂行のため、本校にも冷房...やっぱり無理ですよね−(泣)

 サボテンが、こんなに見事できれいな花を咲かせるものだとは知りませんでした。ずっと昔、チューリップの「サボテンの花」がかなり流行しました(超古い!とか言わない)が、確かに、これなら歌にもなりますね。


1日(水) つがいの山鳩 〜 危ないミス

 校舎前の生け垣付近で、一生懸命追いかけっこしている山鳩のカップルを見つけました。デジカメを持ってそっと追いかける人間(=私)から上手に距離を置きながら、雄が雌を必死に追っている姿がいじらしい。

 東北中総体に出場する部の移動や宿泊について困難な状況に対応している一方で、自分の方に関して大事なことを忘れているのに気づき、慌てて対応しました。バタバタといろんなことが舞い込み、心理的にとても忙しい夏季休業です。通常の授業日の方が楽なような気がします。


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