Sorry, but only in Japanese....

2003.4

2003年5月


31日(土)

 岩崎城運動公園で練習試合がありました。台風4号が日本に上陸中ということで、朝からスピードの速い雲が流れていたのですが、1試合目が終わったあたりから強い風に混じってパラパラと雨が降り始め、2試合目は嵐の中での試合となってしまいました。選手諸君はもちろん、球拾いやラインズマンをした1年生も寒い中よく頑張りました。雨の中の試合は久しぶりですが、練習の成果をよく発揮している以上にいいプレーが見られました。今年は記念大会とのことで、北上地区から3校が県大会に出場できるとのこと。選手たちもそれをしっかり意識しています。

 明日からいよいよ6月。先週は行事やら中総体に向けてのクラブ活動やらでバテバテの生徒たちでしたが、あと2週間で本番がやってきます。けが、病気のないことを祈るばかりです。


30日(金)

 午後からロードレース大会がありました。我がクラスの生徒たちは目標をかなり低めに見積もっていたようで、多くが一生懸命頑張りました。上位20名以内に男子は2名、女子は1名入りました。特に女子の1名は3年連続の1位入賞でした(この生徒は県大会でもトップクラスの速さかもしれない」と体育の先生が言っている生徒です)。走る前は「いやだいやだ」を連発していましたが、始まってしまうときちんと走る。やっぱり中学生っておもしろい。


29日(木)

 班替えを始めとした学級のこと、クラブのこと、いろいろな会議など交錯しているため、なんか心理的に忙しくて自分自身の「心の余裕」を失いつつあります。

 昨夜、常盤台の「煌林」という中華料理店で学級PTAの懇談会がありました。我が学級の学級幹事さんのお店だったこともあり、会費のわりにはものすごいごちそう(きっと足が出たと思うほど)でした。平日だったこともあって参加者は10名ほど(Uさん、Tさん、Hさん、Mさん、Aさん、Sさんご夫婦、Sさん、Sさん、Tさん、副担任のK先生、そして私)でしたが、学級に関するいろいろな情報交換ができました。私自身も日頃持っていた悩みに対する対処法をたくさん教えていただきました。酔いが回ってからはかなり学級ホームページのPRをしつこくやった記憶がありますが、強制ではありませんので。なにせ、接続料金の高い日本のことですから...。幹事のSさん、本当に貴重な場を設定していただいてありがとうございます。「煌林」の鳥の唐揚げ、すご〜くおいしかったです。


26日(月)

 スポ少活動をそろそろ終え、校舎に戻ろうとしていた頃、ものすごく大きな地震が来ました。最初は地面の底で「ゴー」という音が聞こえ、そのうちに南北に地面が揺れはじめました。少し収まった頃、今度は東西方向に大きく揺れ、下から突き上げるようなものすごい揺れとともに校舎がぐらぐらと揺れているのが見えました。「校舎が倒れるんじゃないか?」と思えるような大きな揺れでした。後で聞いたところによると、北上は震度5弱とのこと。慌てて自宅に電話しましたが、携帯電話は不通でした。急いで娘を迎えに保育園に行く途中、作動していない信号もありました。保育園では子供たちが泣き叫んでいるのではないかと思いきや、娘は笑顔でいました。何でも先生たちが子供たちを取り囲んで守ってくれたのだそうです。同じ教育に携わるものとして、(いくら外にいたとはいえ)校舎の倒壊を真っ先に心配した私と比べ、子供たちの安全を第一に考えてくれた保母さんたちに頭の下がる思いがしました。

 後でテレビを見ると、震度6弱を観測した地域もあったようです。鉄道関係もストップ、電話関係もストップ、地域によっては電気や水道が止まったところも少なからずあったようです。


24日(土)

 クラブ、スポ少は休みにして、息子の運動会に行ってきました。海岸で使うテント持参で行ったのでかなり目立ってしまいましたが、じろじろのぞかれることもなく、何より暖かかったのでよかったです。息子ももう3年生。4歳の時にちょっと大きな病気をし、入院生活の影響で運動神経は決して良くありませんが、本校の運動会のときに青軍の生徒に教えた「短距離走の走り方」を教えたら、一生懸命守って走っていました。そのせいか、徒競走では(メンバーの関係で7位になるはずだったのに)「6位になった!」と、本人も家族も喜んでいました。ビリ2で大喜びする家族って、あまりいませんよね。でも、彼なりに目標を達成したわけですから。


19日(月)

 昨日は突然入った練習試合で一日つぶれてしまいましたが、今日は運動会の代休2日目でしたので、ゆっくりしていました。というか、運動会で激写した写真(228コマ)の整理と、選択して学級HPへのアップロード作業を行いました。当日のページに入る前(つまり準備編と総練習編)に、娘のお迎えにいく時間が来てしまいました。続きはまたあとで。

 運動会の写真を撮っていた時、3セット持っている充電池の1セットが寿命がきているらしくすぐに使えなくなったので、放電可能な充電器と新しい充電池セットを買いました。ついでに、256MBのCFカードが9,980円と安くなっていたので「やってもーた」(MacFanの電脳奥様風)してしまいました。CFカードの方は、334万画素の最高画質(2,048×1,536ドットのFineモード)で175コマも撮影できることとなります。

 さらに、DOCOMOに行って「@FreeD」(アットフリードというそうな...)の契約をしてきました。現在はインターネット通信手段としてPHS経由のPp@c20(21時間40分まで約5,000円で接続可能)を利用していますが、OS10.2になってからはコントロールバーがなくなったのでFreePPP使用時の積算タイマーが使えず、通信時間をいちいちメモに残しておかなければならなかったのでした。AirH"は、Macに正式対応している点、サービスエリアがDOCOMO PHSに比べてものすごく広い点、そして何よりUSB端子に直結するPHSモデムが販売されている点でかなり揺れ動きましたが、つなぎ放題サービスが5,000円ぐらいで32Kしかスピードが出ないこと、128Kのコースでは8,400円ぐらいの料金になってしまうことから、最終的に64Kの@FreeD(接続料金は4,880円、年間契約だと月4,000円)となったわけです。SlipperXというアダプタはどう考えても大きすぎるのですが、今までも使ってきたので「まあいいか」というかんじです。新しいPHSカード(P-in Free S)でも、OS X10.2.6/OS9.2.2の両方の環境で、全く今までのカード同様の設定でしっかり動作しました。


17日(土)

 運動会が終わりました。我が青軍は優勝はおろか、4軍中4位でした。しかし、パフォーマンス賞という、軍にとっては最も価値ある賞を受賞しました。なぜなら、優勝は点数によって競われるためにあらかじめ体育の先生あたりに聞けば「どこの軍が強い」ということが分かってしまうのですが、パフォーマンスは企画・選曲・踊りの振り付け・衣装など、全てが生徒の手で行われるからです。我が西軍のパフォーマンスリーダーたちは見事に学級全員に振り付けをマスターさせ、1・2年生に手本を示すことができました。むげに怒鳴りつけることもなく、いい雰囲気で指導ができていたと思います。

 競技の方でも、縦ムカデ競争が1位を収めたのには驚きました。班ごとにムカデを組んでのリレーだったのですが、最初バラバラだった班でも学級のためならあそこまでやれるんだな、と思いました。

 閉会式終了後、陣地で解団式を行ったときのパフォーマンスリーダーの涙が印象的でした。


15日(木)

 今週から運動会練習が本格的に始まり、我が青軍の、3年生はもちろん1・2年生もかなりクタクタになってきているようです。私自身もかなり疲れてきていますが、生徒の前で「疲れた」なんていう言葉を口にするわけにはいきません(3年生担任として)。ずっと心掛けてきたことは「適度な休憩を取らせて、次の活動へのエネルギーを充電させたい」「優勝を目指させるのなら、それに一番近い練習(パフォーマンス、競技の練習など)に絞り、無駄な時間(ややもするとやり過ぎる応援練習など)を減らしたい」ということでした。我が軍の団長はそこのところをよく心得てくれていて、安心して見ていることができました。

 パフォーマンスに使う曲は、テープだと巻き戻しの時間がもったいないのでCD-Rを使用して音楽CDを作ってあげました。「僕はそれをやったことがあるよ」という生徒がいて、少し驚きました。ノンストップで7分4秒、入場の音楽を入場でき次第止めさせたところ、実際には6分25秒ぐらいで全ての演技ができることが分かりました。規定の6分30秒以内にギリギリ合格です。

 「明日は雨が降りそうだ」ということで、今日は急遽、総練習となりました。準備不足の点は多少ありましたが、だいたいの準備ができたことになります。やっぱり土曜日は雨が降るのかなあ?

 その忙しいさなかにどうもMac OS 10.2の調子がおかしくなったので、2〜3日かけながら、バックアップを取り、ハードディスクを初期化し、OSとソフトウェアの再インストールをしました。クリーンインストールの結果、ハードディスクの容量が増し、動作も安定しました。OS Xになってから、ソフトをインストールされた時にシステムのどこにどんな書類が書き込まれるのか分からない(Windowsみたいになってしまった)ため、何かのソフトをインストールするたびハードディスクが肥大化していたようです。

 あるホームページに、Macユーザーとして「そうだなあ」と思える記事が掲載されていました。題名が「Macが好きな理由(http://www.yomiuri.co.jp/net/hirano/20030515hi01.htm)」となっています。ここ2、3年、値段の安さとシェア(普及率)の高さなどの理由によってMacを明らかに圧倒しているWindowsですが、両方使っている(Windowsマシンは持っていませんが)私としては、「何かが違うけれどもそれが何なのか」に明解な回答をしてくれるエッセイではないかと思います。一度、読んでみて下さい。


9日(金)

 2〜4時間目に市内いくつかの中学校の生徒全員で、北上市民会館で行われた「アテルイ」のミュージカルを見に行ってきました。以前見た映画よりもずっと芸が細かく、詳しい内容が網羅されていました。マイクもなしで、あれだけはっきり聞き取れる声の出し方、我々教師も見習わなければならないな、と感じました。

 気がついてみると運動会まであと一週間に迫っているのに気がつきました。生徒たちもびっくりしていました。3年生の担任はおもしろいです。ややもするとだらだらやっていた生徒がちが、リーダーの名の下にいろいろと考え、話し合い、悩みながらも前向きに活動し、顔つきがどんどん大人っぽく勇ましく変わっていきます。たまにミスやいたずらをする幼い生徒もいますが、「急激に3年生らしくなってきた」というのが素直な感想です。今日は運動会準備として、応援練習とパフォーマンス練習が行われましたが、活動計画、時間配分、指導法、指示の出し方など、プロ教師顔負けの技術を身につけた生徒も見られます。


8日(木)

 午後から中教研(中学校の先生たちの研究会)がありました。私は英語部会に顔を出しましたが、今年度の研究テーマの論議において「高校入試の英会話対策」「絶対評価」「意欲を持たせる指導」「外部の研究団体との交流」「異なる校種での授業の見せ合い」など、たくさんの話題が出ました。最近の中教研では「若い先生の発言が少ない」という声がささやかれていましたが、司会者のK先生の手腕により参加者全員に発言していただいたところ、若い先生は「自分の指導法に自信がないんじゃないか?」と感じられました。私が若い頃は「こうやっているんだけど、どんなもんですか?」「〜するにはどうやったらいいのか知りたいので、話題にしてください」などと発言して、経験のある先生方からネタをたくさん仕入れたものですが...。


7日(水)

 昨年度、英語のティームティーチング授業において、当時のT2であったM.T先生には授業の最初の会話(Small Talk)で生徒に質問する英文(How many brothers and sisters do you have ?など)を読み上げてもらったり、生徒がその質問への回答(I have one brother and two sisters.など)を書くときに二人で回って支援したりしていました。

 今年は、T2のM.O先生が昨年度3年生を教えた経験があったということを考え、思い切って習熟度別学級を編成することにしました。英語の授業1時間を使って、英語検定の4級の過去問題を使って筆記試験(35問、35分間)を行い、生徒それぞれが自分のとった点数を参考に上級コースか初級コースを選ぶという方法でクラスを2つに分けました。一応、14問(40%)できたかどうかを目安としたのですが、最大23問できても初級コースを選ぶ生徒がいました。指導者の方で勝手に分けると「差別につながる」という批判を受ける可能性があるそうですが、これなら大丈夫でしょう。さらには、「上級コースでは難しすぎる」、逆に「初級コースでは簡単すぎる」という生徒が出てくる可能性を考え、2回ぐらいまでは変更を認めることにしました。

 昨年度の3月、2年生に英検の5級の過去問を解かせたとき、ある生徒が一問も解くことができずにぼーっとしていました。近くに行って理由を聞くと、「単語が読めないからぜんぜん分からない」との返事。そこで、問題用紙に書かれている問題を読んであげたところ、その生徒はきちんと正解を選ぶ(英検は4択なので)ことができました。このことから、「英語が分からない生徒というのは、教科書に書かれている単語が読めないのではないか」という仮説が思い浮かびました。「来年度、どうにかしてこういう生徒が単語を読めるようになれれば...」と考え始めました。M.O先生の出現は、こういう状態の私にとって、チャンスでした。

 今日は、その習熟度別授業の第1回目でした。初級コースを担当している私は、上記の仮説に基づき、松香フォニックス研究所で研究が進められているフォニックスを取り入れることにしました。小学校でローマ字がほんの少ししか指導されてこないという現状から、これが一番いいと考えたのです。幸いなことに、自宅で塾講師をしている妻からそのノウハウを教えてもらいました。しかし、幼児〜小学生用コースで用いられるPhonics Jingle(A says, a, a, apple. B says b, b, bear. C says c, c, cow....)が果たして中学三年生に受け入れられるのかどうか、とても不安ではありました。しかし! やってみた3学級(それぞれ10〜14名ぐらい)では見事にうまくいきました。正直言って、驚きました。生徒がやる気があるとなればもうこっちのもの。アルファベットのAから始めてPまで一気に進みました。ふつうの授業ではあれほどボケッとしていた生徒たちが、何度くり返しても最後まで飽きた表情をせずについてきて、1時間ほとんど声を出しっぱなしでした。Phonics Jingleの後、覚えたアルファベットの「音」を組み合わせていろいろな単語読みに挑戦させました。big, bag, badなど習った単語はもちろん、bid, bet, dagなど中学校の教科書には出てこない単語まで読めるようになっている自分を発見し、うれしそうな表情をしている生徒は、まるで英語を初めて習う1年生のようなきらきらした表情でした。英語嫌いをなくすカギになる指導法を、また一つ見つけたという感動を覚えました。


5日(月)

 5月連休の家族サービスは、近い・安い・短い三拍子がそろった、東北ニュージーランド村へ行ってきました。さすがはこどもの日、今までに見たこともないぐらいの人出でした。娘が「仮面ライダーショー」を見たいというので、午前中は妻の弟夫婦を見送りに水沢江刺駅まで行き、その後、昼食を食べてから午後3時のショーに向かったわけです。ショーが終わり、スライダーや遊び場で遊ばせ、おみやげを買って帰りました。本当はゴールデンウィークといえば連日練習試合を組むのが本筋(現にそういうクラブ顧問は多い)でしょうが、今年はけっこう家族サービスに使わせてもらいました。


4日(日)

 妻の弟夫婦(私からいえば義理の弟妹、ですか...)に初めての子どもができた、というので親戚一同で「孫抱き」のお祝いをしました。プラザイン水沢というりっぱなホテルの一室を借り切っての宴会でした。久しぶりに、あかちゃんのぷにょぷにょほっぺをさわり、幸せ気分に浸りました。


3日(土)

 今年度、(やっと)2回目の練習試合をしました。修学旅行が終わったばかりで練習不足は否めず、貴重な2年生選手は駅伝に出場、おまけに3年生が5人しかいないという本校チームでしたが、たくさんの父母会の方々の応援を受け、強い2チームを相手になかなかの試合をしました。相手は北上中と南中。南中と最初にやりましたが、いつものあの元気さがないなと感じました。1試合目の北上中との試合でかなりバテたのでしょう。複数の選手が足をつらせたのを見るのも、南中にしては珍しい。対北上中戦は、正直言って力の差がありました。さすがに新人戦の県大会で準優勝したチームだけのことはあります。ボールの読み、パス回し、ボールへの寄り、カバーどれも唸ってしまう技術を有しています。一日中快晴のもと、半袖短パンでずっと日向にいたため、すっかり日焼けしてしまいました。


2日(金)

 4月29日の日記に書いた「急な用事」というのは、実は4人いる従兄弟のうちの一人(享年56歳)が亡くなったというものでした。今日は一日年次休暇を取り、お葬式に参列しました。一家の大黒柱を失い、悲しみに暮れる家族(奥さんも、子供たちも、親たちも)を見ているうちに、「オレは絶対にどんなことがあっても死ねないな」と感じざるをえませんでした。特に、子供がその親よりも早くこの世を去ってしまうなんてのは最大の親不孝になってしまいます。結局のところ、学級の生徒に会えないまま三連休の第二弾に突入してしまいましたが、「死なないこと、悪いことをしないこと」の2つの約束(特に前者)をすべての生徒がきちんと守ってくれることを心から祈るばかりです。


1日(木)

 5月になりました。三連休第一弾が終わり、今日も目まぐるしい忙しさでした。生徒に注文を受けた写真の切り抜き作業をしていると、ある生徒が「2年生のときの英語の成績を見せてください」といってくるのでデータを開いていると、別の生徒が「〜の申し込み用紙を下さい」というので取りに行っていると、お客さんがいらっしゃったのであいさつをしている間に「教育委員会から電話です」と呼ばれて電話を終えて戻ってくると、別の生徒が進路相談に来ている、とこんな感じでした。どうも、物事の順序性がムチャクチャになってしまうので、あちこちに迷惑をかけてしまいます。「あとで」とはっきり断れない自分を情けないと感じた一日でした。


2003.4

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